サーフィンを止めるな|サーファーからのメッセージ~ベリンダ・バグス編~
NALU 編集部
- 2021年11月18日
今、世界は未曾有の変革期を迎えている。Covid-19という未知なるウイルスによって誰もが 経験したことのない自粛生活を強いられ、経済は停滞し、海に入ることさえ煙たがれるこの世の中を、誰が一体予測できたことだろう。
これからのサーフシーンはどうなって行くのか。この大きく時代が変わるその瞬間に、サーファー達は何を想い何を願ったのか。その断片を切り取り、後世に残すためにこの特集は企画された。
『THE VOICE-サーフィンをとめるな。』
リアルなサーファー達の声をここに贈りたい。
Index
ベリンダの住む小さな町にもその影響が広がり始めた
初めの頃はニュースを見てもパニック映画を見ているような感覚にすぎなかった。でもCOVID-19は次第にその脅威を明らかにしていき、あらゆる報道が次から次へと危機的な状況を伝えるようになった。中国、日本、韓国、イタリア、スペイン、イギリス、アメリカ……。遠くの国でそのウィルスが広がっていく状況を私たちは目にするようになっていった。他の国々でたくさんの人が苦しんでいる様子を見るたびに胸が締め付けられるようだった。
このパンデミックの当初、オーストラリアではそこまで感染が広がることはないだろうと考えられていた。オーストラリアは南半球にあり人口の多い大都市からは遠く離れているという事実が、危機感を鈍らせていたのかもしれない。しかし、私がソロモン諸島へのサーフトリップを終え、帰国してすぐの1月、オーストラリアでは初めての感染者が確認された。続く 2ヶ月の間に、海外から次々と旅行者が帰国し、また、クルーズ船で感染した乗船者もいたことで、ウイルスは瞬く間に国内に広がっていった。
その時点では、グレートオーシャンロード沿いにあるホームタウンの“アーレイズ・インレット”で、私たちはサーフィンをし、ビーチで遊び、長い夏の最後の日差しと温かな海水を楽しんでいた。 とはいえ3月中頃までには、日毎に感染数が急増し国内では1000件もの感染が確認されるることとなる。パニックを呼び起こすようなセットが大きな街のあるエリアにやってきたのだ。ウールワースやコールスといった大型スーパーマーケットからは、パスタ、缶詰、そして長期保存できる食料品が一斉に姿を消した。人々にとって他人に配慮する気持ちは優先順位のトップから落ちてしまったようだった。誰もが必要不可欠な生活用品と感じるようになったのが、オーストラリアのスラングで「ダニーペーパー」とか「ボグロール」と呼ばれるトイレットペーパーだ。それが何週間もスーパーの棚から無くなってしまったの! しかも、我が家の備えがちょうど無くなり始めているタイミングに……。ダニーペーパーがオンラインの店でもすべて欠品になってしまい、ローカルのショップに行っても見つけられないようになってから、私は探すのを諦めてしまった。政府から来るかもしれない配給を待ちながらなにか別の良い方法を探すことにしたわ。ハイキングに行ったときには、ユーカリの葉はダニーペーパー代わりになることも知っていたし、私の両親の世代では新聞紙を切って使うこともあったと聞いていた。それに、トイレのあとすぐシャワーを浴びちゃうっていうのもありよね!
家族の健康を気にかける毎日
ジョークはさておき、私たちの国は感染が確実に広まっていく恐怖を感じ始めていた。医療システムは万全な準備ができていなかったし、政府は、 国民に対して1.5mのソーシャルディスタンスを保つよう要請したうえで、通常通りの経済活動を押し進めようとしていた。ある週の金曜日にはパタゴニアはストアの営業時間を最小限にして、次の月曜日には私が働いているオフィス部門だけでなくストア自体の営業もやめることにした。私自身もアメリカと日本のパタゴニアにトリップに行く予定があったけれど、それも当然のことながらキャンセル。私がとにかく気にかけていたのは家族の健康のことだった。
学校はまだ閉鎖されていない状況だったから、息子のレイソンを学校へ通わせるかどうかすごく悩んだわ。8歳になる彼にせめてウイルスに対する抵抗力をつけさせようと、学校に行く前にすごく大きなマルチビタミンの錠剤を摂らせようともした。でもレイソンは飲み込めずに出してしまったので、その方法は失敗に終わってしまった。その頃私はパニックになっていたかもしれないけど、最終的に子供を学校に行かせないということを決めた。感染が広まり始めた頃の時期は、ヒステリックな世の中の状況をより恐れていたと思う。感染状況がピークを過ぎて社会が落ち着くまでは、家族で一緒にいる方が安全だと感じていたの。
photo: Jarrah Lynch
人を思いやる気持ちが何より大事だと気づくまで
世間では、私や友人たちを含め様々な予防策をとっているような人々と、いつも通りの生活を過ごし、感染のリスクの高い人たちに対する気遣いをしない人々との間に、妙な分裂が現れだしていた。私は自分のコミュニティに対して縄張り意識のような気持ちが芽生え始めていると感じたわ。
他の地域から来る人々によって運ばれてくるかもしれない目に見えない敵から、家族や友達を守りたいと思っていた。ある日の午後、よくサーフィンをするローカルスポットで私は他の街から来たサーファーに思わず叫んでいた。声を荒らげて自分の地元に帰って欲しいと言っていたわ。でもそれから何日も私の頭の中では自分の行動に対して自問自答が何回も繰り返された。これまで私は世界中のたくさんのビーチを訪れていたし、多くの場所で歓迎してもらえたことをとても感謝していたから、自分のホームにビジターが来る時も同じように温かく接したいと思っていた。
けれども今回は少し状況が違った。外出制限が出されているにも関わらず、私の地元のビーチとラインナップではますます混雑し続けていたうえに、その時レイソンは友達とインサイドの浅瀬にいて、他のローカルたちもまた駐車場にいた−−つまり私たちが感染してしまう可能性もあるし、万全な医療体制がなく高齢者も多い私の住む町では大きなリスクにも繋がりかねない。ツーリストに対して今は来ないでほしいというお願いの看板を私が建てる に至ったように、オーストラリアの東海岸にある多くの小さな町は南から北まで同じような状況が起きていた。私が一連の出来事をソーシャルメデ ィアにアップすると、私たちがオーストラリアでいまだにサーフィンしていることを信じられないという海外の人々から、ローカリズムについての 議論がなされることなく、多くの非難が寄せられることになってしまった。
そこで私は、自分が人に対する思いやりを持とうとしない自分の心の罠に陥っていたということにもようやく気づいたの。 世界中の人々が苦しんでいる時だからこそ、人を思いやる気持ちが何より大事なことだって。
photo: Jarrah Lynch
自然と繋がって生きていくことへの気づき
3月から4月になる頃には感染者数は4倍になり、さらにまた4倍になっていくという状況で、政府は厳しい制限を始めていた。州境の閉鎖、商業施設の営業やビジネスの停止、医療施設に対する重傷者への対応要請、そして学校の閉鎖。なにより重要だったのは、自分がエッセンシャルワーカーでない限り家にいるように求め、食料品など生活必需品の買い出しやエクササイズは自分のローカルエリアのみで行うよう求めたこと−−これ にはサーフィンも含まれている。こういった対策はまさに適切なことだったと思う。つまり生命を優先するということにおいて。
私が住んでいる町はツーリストたちに人気の場所として知られている。毎週末メルボルンなどの大都市から大勢の観光客がグレートオーシャンロ ードへ訪れ、近くの海や公園、ブッシュにつめかける。私たち家族はまわりに誰もいない時を見計らって海までの道を歩き、サーフィンしている時 以外はずっと家にいるようにしていた。冬の気配が段々と近づいてくるにつれ朝日はどんどん美しくなっていった。空気は次第に身が引き締まるよ うな冷たさを帯び、冬らしい天候が増えていった。私は自分の住む(郵便番号)3231のエリア以外での“パンピングセッション”を何度も逃してしまったけれど、レイソンにサーフィンを教えながら自分の子供と波をシェアする以上の幸せはないと感じていた。オンショアの1フィートの波にレイソンが乗っている姿を見たとき、それは人生でもベストの波だと感じたし、その瞬間をこれからも忘れることはない。普段の生活は突然様変わりし、すべてがスローダウンしていた。もはやたくさんのタスクに追われることはなく、その代わり庭でくつろぎ、足の下にある草や土を感じ、木々の上で鳥たちがさえずっているのを聞くようになった。自然からのメッセージを受け止め、家族との会話に心を傾けた。いわゆる「文明」に弱点があることに気付いたし、経済は今までどおりには進まなくなった。残念ながら失業率は上昇し、多くの人が冷静さを失って家賃を払うことや食料品を手に入れることばかり考えるようにもなった。
私たちはこれまでの生き方やシステムが人間社会にうまく働いていなかったということを初めて素直に認識できたのかもしれない。私は今の自分の状況をとても幸運だと思っているし感謝している。いまだに仕事の給与を受け取ることができ、これまで取り組めなかった身の回りのことに費やせる時間がある。庭の大部分を野菜を育てる畑に変え、収穫したものを近所の人たちと物々交換している。大きなスーパーに行かなくても生活していける方法を学び、地元の生産者が作る品物だけを買うようになった。市場ではわずかな量しか必要とされ ないオーガニック食品の卸売業者から、ローカルフードをまとめ買いする組織も友人と立ち上げた。おかげで地元でお金を使うことの意義や、投資家のためでなく自分のコミュニティに貢献することが経済にどのようにフィードバックされるかを実感することができた。
現在世界中の大都市で汚染が減り、動物たちが何十年も住めなかったエリアに戻り始め、地球規模でCO2の排出が減少している。きっと地球は自分自身を癒しているのだろう。同時に私は身近な生活を脅かしている環境問題をリサーチする機会も得ることになった。石油やガスの採掘は、お気に入りのサーフスポットの海水にまで影響を与えていたのだと学んだわ。工業化の波はすぐ近くの海岸にまで進んでいる。石油の採掘によって発生するオフショアガスを止めようとしている地元の環境団体に連絡し、環境を守り、水や動植物への悪影響を防ぎ、より安全で美しい未来に繋がるような解決策を実行する手伝いをしようと決めた。
photo: Zoe Strapp
日常の意義と身近にある環境に向き合うきっかけを与えてくれた
今、感染者数はどうやら落ち着きを見せてきている。日に日にその数は減り、私の住むビクトリア州での規制は解除され始めた。2週間後には子供も学校に戻れる予定になっている。お店は様々な規制に従いながらも再開するようになった。サーフィンをしながら、“ノーオフショアガス”の看板を作るために私は限られた人数の人々と会っている。生活は少しずつ日常を取り戻し始めたかに見える。でもCOVID-19が来る前と同じ日常には戻ってしまって欲しくない。なぜならその日常には多くの問題もあったから。
オーストラリアは広大な自然ときれいな空気がある。最大の街のシドニーでさえ、人口密度は東京の1/15、ニューヨークの1/24だ。大きな街以外では、オーストラリアの人々は緑豊かな自然と広大な土地、広々とした無人のビーチ、無限に広がる海に囲まれながら暮らしている。このウイルスがもたらした様々な出来事によって、自分の環境がどれほど素晴らしいものであったのかを真に感じられることができるようになったし、これを読んでいる皆さんたちもきっと同じように感じていると思う。もう2度とパンデミックは起きてほしくはないし、苦しむ人が出てほしくないと心から願っている。
私の新たなマントラは、思いやりを持ち、健康であり、できる限り良い変化を起こせるように意識すること。今の状況から私たちは前に進んでいくことができるし、この経験は思いやりと共に生きること、そしてより自然と繋がって生きていくことへの気づきとなったと思う。みんなで自然を第一に考える未来を一緒に作っていきたい。
PUT NATURE FIRST.
photo: Zoe Strapp
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- ◎出典: NALU(ナルー)no.117_2020年7月号
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NALU 編集部
テーマは「THE ART OF SURFING」。波との出会いは一期一会。そんな儚くも美しい波を心から愛するサーファーたちの、心揺さぶる会心のフォトが満載のサーフマガジン。
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