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サーフィン・太東|日本ロングボード紀行

海に囲まれた日本列島には、日々、大海原からうねりが押し寄せる。豊かな海岸線、峻嶺な山々から注ぐ大河に恵まれ、さまざまな波を生み出している。四季折々、津々浦々で、今この瞬間も波が生まれては消えていく。そこには、その波をこよなく愛し、守り、慈しむサーファー達の姿がある。そう、日本は世界に誇るサーフアイランドなのだ。この連載では、ロングボードを切り口に、各地のサーファーコミュニティと彼らの地元の波への思いを伝えていきたい。

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今回、足を運んだのは千葉・太東。果たして、どんなサーファーと波が待っているだろうか?

ロングボーダーが集まる理由は「太東独自のローカリズム」

太平洋を臨む日本最大級の砂浜海岸である九十九里浜。千葉県東部の刑部岬から始まる遠大なビーチの終着地点である太東。地図を俯瞰すると外房の真ん中、地元のサーファーに言わせると外房のいわば「へそ」に位置すると言う。

▲ザ・デイになると太東から一宮にかけて多くのサーファーが集まってくる。日本有数のサーフスポットが凝縮するエリアだ

弓なりに反った九十九里浜は、太平洋からのうねりを幅広く拾い、古くからサーファーが波を求めて集まってきた。特に、戦後の高度経済成長期とともに産声を上げた日本のサーフシーンの黎明期には、多くのパイオニア達が太東に引き寄せられた。

▲光とうねりが生み出す自然のアート。ビロードのようなうねりは、やがて波に生まれ変わり、サーファーに喜びを与える

当時は堤防や漁港もなく、岬から割れる文字通りのポイントブレイク。ボトムもサンドではなく、粘土質の柔らかい岩盤だったので、常に地形は決まり、ロングウォールが出現するライトブレイクだった。当時、そのままの姿の波が残っていれば、世界にも誇れるサーフスポットだったろう。

▲堤防脇からブレイクするライトのロングウォールは一級品。堤防や漁港がなかった時は、いかほどのクオリティだったのだろうか

だが、それから半世紀上の時を経た今も、太東には日本でも指折りのスタイリッシュなロングボーダー達が集っている。全盛期ほどのクオリティではないが、ロングボードにぴったりのメローでファンな波だけが、その理由ではない。クラシックなシングルフィンを愛するコミュニティが根付き、太東独自のローカリズムが育っているからだ。

▲朝焼けに染まるグラッシーな波とともに始まる一日ほど最高なものはない。ラインナップにはピースフルな空気が漂う

太東には昔も今も変わらずメローな空気が流れる

ローカリズムというと、とかく閉鎖的で時にビジターにとってはあまり心地よいものではないことが多々ある。だが、太東の海には真逆な雰囲気が漂う。笑い声があふれ、時に冗談を交し合って、波と同じようにメローな空気が流れているのだ。

▲メローでファンな太東の波。スモールサイズでもそのポテンシャルを感じることができる

その輪の中心にいるのが、「ケニーさん」の愛称で親しまれている泉健二だ。サーフィン歴は半世紀以上、もうすぐ古希を迎えるレジェンドながら、「365日、海にいる」と自負する太東の顔だ。ショートボード全盛時代の1985年からロングボードを始め、1991年、第一期生のプロロングボーダーとして活躍してきた。そのケニーさんの人柄とサーフスタイルに魅かれて、若手の才能あふれるロングボーダーが集まり、コンペティターとして全国に羽ばたいていった。

▲太東の顔、ケニーさんこと泉健二。「ケニーレフト」と異名を持つフロントサイドのライディングはスタイリッシュそのもの

その先陣の一人が、尾頭信弘だ。太東に根を下ろしコンテストツアーを回り、今ではシェイパーとしてもその才能を開花している。本誌でもおなじみの小川徹也も太東のレギュラーメンバーの一人だ。プロデビューしてルーキーオブザイヤーを獲得したクールなノーズライダーは、今はコンペからは退いて独自の路線を歩んでいる。

▲ケニー・チルドレンの一人、尾頭信弘。才能あふれるコンペティターだが、ここ数年、シェイパーとしても頭角を現している

▲本誌の連載でもお馴染みのアニキこと小川徹也も太東を愛するロングボーダー。ノーズでのパフォーマンスは唯一無二だ

リョウベイこと瀬筒良子も、パートナーの雄太とともに日本を代表するロングボーダーだ。15才でサーフィンを始めたレディスプロの一期生でもある。まさに太東はロングボーダーの登竜門的なビーチなのだ。

▲優雅なサーフスタイルは国内でも屈指のリョウベイこと瀬筒良子。ここ太東で、そのスキルを磨いた

「実際に自分の目で上手いサーファーを見て学ぶことがサーフィン上達の近道」と語るケニーさん。その意味でも、太東は格好のポイントなのだろう。ルールやマナーも見て学ぶべし。そのためにケニーさんは自らが模範になるべく、365日海に入るのだろう。「ただ単に、自分が楽しくサーフィンしたいだけ」と謙遜するが、その根底には、みんながハッピーに波乗りをできるビーチを作りたいという思いが透けて見える。

ハッピーの遺伝子は、きっと次世代のロングボーダー達にも、受け継がれていくことだろう。

▲今、太東では1990年代以降のロングボードリバイバルの時代に活躍したサーファーの子供達が育ちつつある。行く末が楽しみだ。

 

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NALU 編集部

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テーマは「THE ART OF SURFING」。波との出会いは一期一会。そんな儚くも美しい波を心から愛するサーファーたちの、心揺さぶる会心のフォトが満載のサーフマガジン。

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