旅上手なあの人のバックパックの中身#2 山本葵
ランドネ 編集部
- 2021年08月11日
山旅のスタイルも、日常も、魅力的な山好きさんのバックパックの中身を拝見する連載企画です。
安曇野市のおとなり、長野県池田町に自宅と工房を構え、アクセサリーや山バッジの制作にはげむ山本葵さん。温もりを感じさせるかわいい真鍮製バッジの印象とはうらはら、3, 000m級の山々もガンガン登る山本さんの、“古くても物語のある道具が好き”という、独自のセンスにあふれる愛用道具を見せてもらいました。
mauve 山本葵さん
おもに北アルプス周辺の山小屋の山バッジや、金銀銅、真鍮などを用いてアクセサリーを制 作するmauve(モーブ)のデザイナー。地元山岳会に所属するバリバリの山ヤにして、一児の良きママでもある。https://mauve-montagne.com/
山で紡がれるストーリーを道具とバッジに込めて
17年前、長野に移住し、いまは家族三人で北アルプスを見渡せる池田町に暮らす山本さん自宅内に造られた工房で、山バッジやアクセサリー作りに日々いそしんでいる――。なん て書くと、山本さんが山好きで移住したように思われるかも知れないが、じつは最初そうではなかった。「子どものころ、山好きの父がよく登山へ連れて行ってくれたのですが、当時は山に惹かれませんでした」。
大人になり東京でアクセサリー会社に就職するが、家と仕事の往復の毎日に疲れてしまった山本さん。どこか田舎町で自分のブランドのアクセサリー制作に励みたいと思い立つ。 「なんとなく田舎といえば長野かなと。山が近いから、というので移住 先を選んだわけじゃないんです」。東京の仕事を辞め、2002年に長野市のリンゴ畑に囲まれた山里でひとり暮らしをスタート。だが、昼は工場で働き、夜は作品制作に励む日々は、ときに孤独を感じることも。「そんなとき、気晴らしに近所の飯縄山に登ってみたんです。標高1,900m強の日帰りで登れる山ですが、北アルプスの展望や山道脇の高山植物に癒されました。下山後は気持ちがすっきりしていたんです」。
山が助けてくれた、と感じた山本さんはその後、何度も飯縄山に登頂。ひとりで登っていると周りのハイカーに声をかけられることも多く、登山者の優しさにも心を打たれた。山に傾倒するうち、山に携わることが自分でもできないかと模索。普段扱っている真鍮で山バッジを作り始めたのは、そのころだ。「バッジを松本クラフトフェアに出品したら、偶然『岳都松本・山岳フォーラム』の実行委員会の方がバッジを目にしてくれて『ウチのオリジナルバッジも作ってほしい』という依頼をいただいたんです」。
2014年から、フォーラムのバッジの制作・販売を開始した山本さん。その後、会場でバッジを見た穂高岳山荘の代表からも、山荘のオリジナル山バッジの制作を頼まれ、徐々に評判が評判を呼ぶ。山小屋からのバッジ制作依頼が増えるにつれ、山本さん自身も「山に関するモノを作るのなら、もっときちんと山に登りたい」と考えるように。地元山岳会に所属し、北アルプスのハードなルートも登るようになった。
「依頼をいただいた山小屋には実際に足を運びたい、という思いもあったんです。出産後は登山の機会が減りましたが、実際に現地に行かないと、その山小屋のもつ空気感や風景を感じにくいですから」。
空気感や物語性を大切にする山本さんの姿勢は、山道具選びにも。山小屋泊の一泊二日想定で持参する道具を見せてもらったが、まずオスプレーのバックパックが渋い!「夫がむかし愛用していたものです。濡れたら沁みるし、機能性は高くないけど、使い込んだいい味が出てるし、武骨な雰囲気も好きです」。
山本さんと道具の話をしていると「この機能が〇〇で」ではなく「〇〇さんが〇〇してくれた」という、その道具に関する人の話が多い。たとえば、プロトレックの腕時計は尊敬する山の師匠に腕時計同士を交換してもらったもの、モンベルのボトルは山岳リーダー養成コースを受講した際、受講したみんなで記念のプリントを施したもの。サングラスは、大好きな映画『私をスキーに連れてって』で原田知世がかけていたものに、似ているモデルを愛用する。
「物語性のあるものを身に着けるのが好きなんです。道具を買うのではなく、道具が自分のところにやってきてくれたというイメージですね」。
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自然と旅をキーワードに、自分らしいアウトドアの楽しみ方をお届けするメディア。登山やキャンプなど外遊びのノウハウやアイテムを紹介し、それらがもたらす魅力を提案する。
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