ジリジリ暑い昼下がり。熟れたトマトが「どった」と枝から落ちるところから、「トマトさん」の物語は始まります。
不意に落ちたトマトが土にめり込むときに立てるこの音。家族で畑を始めたので、今年の夏は何度も耳にしました。茂った葉の隙間から音のした方へ目を凝らすと、太陽をピカピカ照り返す真っ赤な姿。
このまま置いたら中が煮えてしまうだろうなと思いながら拾いあげ、台所で水を張った片手鍋にドプンとそれを放り込むと、「ああ、つめたい! なんて きもちいいんだろ」……絵本の台詞通りの、トマトの声が聞こえるようです。
暑くて暑くて、日差しに肌が裂けそうで、そんなときに浸かる川の水ったらたまりません。絵本では体が重くて動けないトマトさんを、虫たちが力を合わせて川に転がし入れます。冷たい水を楽しむトマトさんと虫たち。たっぷり泳いだあと川原に上がって一休みする彼らを、風がさらさらと撫でていきます。
小学生のころ、岐阜の祖父母の家で過ごす夏休みに、よく川へ連れて行ってもらったことを思い出しました。
流れの速さや川底の石の滑りに少し体を強張らせながら、そろりそろりと足を踏み入れ、川の中ほどでエイヤと肩まで浸かったときのあの痛いくらいの冷たさ。ただ息の続く限り潜って遊ぶ間、耳を満たす水流の響き。そうして震えるほど冷えた体を岩の上に投げ出すと、その温もりがじんわりと移ってきて、あんなにも鬱陶しかった太陽が急にありがたく感じられるのです。
目を閉じて、髪から垂れる雫や、脚に留まったトンボの気配を感じながら、そのまま眠ってしまいたいような気怠さに身を任せる心地よさ。
大人になってそんなシンプルな川遊びからはすっかり遠ざかってしまいましたが、山歩きの最中に川に足をひたす瞬間もまた、格別です。
初めての槍ヶ岳登頂のあと、その高揚感と疲労とを抱えて上高地に降りたとき。重い登山靴と分厚いウールの靴下を脱いで梓川に足をつけた途端、それまで張り詰めていたものが爪先から川の流れへと溶け流れていくのを感じて、しばらく動けなかったのを覚えています。
飯豊連峰避難小屋縦走のズッシリ重い荷物を背負って、飯豊山へと続く稜線へやっとこさ上がり、雪解け水が作る細い沢筋を見たときも我慢できなかった。ガイドさんと目を合わせ、次の瞬間には靴を脱ぎ捨て大はしゃぎしてしまいました。
水に浸かった小石や枯葉の色が目に鮮やかに写るように、川の水とともに刻まれた思い出はどれも鮮明に蘇ります。
トマトさん
(田中清代・作/福音館書店)
ズッシリと重みが伝わるフォルムや表情が魅力的なトマトさん。失礼ながら川で冷えたところをかぶりつきたいほどおいしそう。草いきれが漂ってきそうな、夏にぴったりの一冊。
モデル/フィールドナビゲーター
仲川希良
テレビや雑誌、ラジオ、広告などに出演。登山歴はランドネといっしょの12年。里山から雪山まで幅広くフィールドに親しみ、その魅力を伝える。一児の母。著書に、『わたしの山旅 広がる山の魅力・味わい方』『山でお泊まり手帳』