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日本から世界に羽ばたいた国産ウェットスーツ「VICTORY」とは?(後編)

国産ウェットスーツの原点「VICTORY」に迫る!

「ビクトリーウエットスーツ」――まだダイビング用スーツを着ていた日本サーフィンの草創期に、はじめてサーフィンに向けたウエットスーツを開発。今に引き継がれる数々の技術革新を起こした。現在も海外サーファーからも受け入れられる日本ウエットスーツの高品質さには、創業者の黒坂さんから見てどんな理由があるのだろうか?

オーダーメイドならではのクオリティの高さ

黒坂延生氏(以下黒坂)
「運動性能の良さでしょうね。曲げ伸ばしが多いサーフィンの動きを、日本のウエットスーツブランドはものすごく研究して進化させています。なぜそう進化させれたかというと日本のウエットスーツはオーダーメイドだからですね。サーファーそれぞれの体型を計測して、部位によってどんな動きをするのか計算して作り上げているわけです」

実はビクトリーでも’60年代からオーダーメイドで作っていたという。昔は、ブランドも在庫を持たないということと、お店も在庫を持つような資本力がなかった、というのが理由のひとつだ。

黒坂「サーフボードと同じく、受注生産が基本。お店に置いてあるのはサンプルみたいな形で、そこから個々人に合わせてオーダーを受けてましたから」

時代のアイコンたちと築いた信頼関係

今年残念ながら亡くなってしまったデレクと、その兄であるマイケルのホー兄弟、マーク・リチャーズなど時代のアイコンを当時のビクトリーはサポート。彼らとはどんな思い出があるのだろうか?

黒坂「デレクたちはハワイアンでしたからそこまでウエットスーツを使わないんですが、メインランドや試合で他国に行った際に着用し、いろいろとアドバイスをもらいました。試合のために来日したときは、他のライダーたち含め会社の真裏にあった私の家で寝食を共にして、プロサーファーということで我々も敬意を持ってケアさせていただきましたね。

日本のカルチャーを満喫するデレクたち

黒坂「カツ丼が気に入ったようで作り方をメモしていたり、お風呂が泡だらけになって風呂の機械が故障してしまったりといろんな思い出があります。日本のハイテク機器には驚いていたようでした。カラオケも初めての経験ということで音痴ばかりでした(笑)」

彼らだけで電車で東京へ出かけたときには、終電で帰ってきて寝過ごしてしまい、小田原まで迎えに行ったこともあるという。

「秋は、皆さん梨を食べるのがはじめてらしく、甘くてみずみずしい日本の梨をずいぶん食べていました。来日する度に梨はないのかと尋ねられたものです。日本のおもてなしにはたいそう感激されたようです」

▲1987年に日本で開催されたマルイプロに出場したデレク。大の親日家であり日本人のファンも多かった

▲1979〜82年の4年連続で世界チャンピオンとなったマーク・リチャーズ。トレードマークの「MR」のその上にビクトリーのロゴがしっかりと見える

まさに家族のような付き合いがあって、彼らは信頼関係を育んできた。これからも日本のウエットスーツは、そのクオリティと信頼を通して、世界のサーファーと繋がっていくことだろう。

日本から世界に羽ばたいた国産ウェットスーツ「VICTORY」とは?(前編)はこちら>>>

日本から世界に羽ばたいた国産ウェットスーツ「VICTORY」とは?(前編)

日本から世界に羽ばたいた国産ウェットスーツ「VICTORY」とは?(前編)

2021年10月13日

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NALU 編集部

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テーマは「THE ART OF SURFING」。波との出会いは一期一会。そんな儚くも美しい波を心から愛するサーファーたちの、心揺さぶる会心のフォトが満載のサーフマガジン。

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